■ 歩く会を楽しむM「北國街道(北陸道)鳥羽一里塚から柳原一里塚を歩く」2023.10.23


今年3回目の「歩く会」は、10月22日(日曜日)前回のコースを引継ぎ、鯖江市の鳥羽一里塚から長泉寺一里塚を経て、越前市の柳原一里塚までを歩いた。
今回は「われわれ3人水入らずでやろう」ということで、気兼ねなく自分たちのペースで歩くことが出来た。

前回は5月13日だったので、5カ月ぶりということになる。
とにかく今年は経験したことのない猛暑続きで、歩きたくても歩くことが出来なかったのである。
だから待ちに待った「歩く会」であり、3人ともこの日が楽しみで、年甲斐もなく小学校の遠足気分ではしゃいでしまった。

今回のコースは、まさに北國街道そのものの道筋が残っており、それをたどったので当時の旅人の気分に浸ることが出来、充実感と達成感を得ることになった。
さらに予定にない驚きや発見があり、爽やかな秋晴れの1日に大いに満足したのである。

だから「歩く会」はやめられないのである。
したがって、焼き鳥屋での打ち上げ会で呑んだビールの美味かったこと。

企画した立場としては、まさに面目躍如、安堵した次第です。
次の企画を立てるにあっては、さらにいいものをとプレッシャーを感じているのだが、嬉しい悲鳴・・・・・・でもあります。

9:24 JR福井駅 下車
9:55 福鉄福井駅前駅 乗車
10:32 福鉄三十八社駅 下車
@鳥羽一里塚碑 昭和の中頃までは築山があり、榎や樫の大木が生い茂っていた。
A鳥羽橋    浅水川に掛かる橋の欄干には「北国街道」の文字が彫られている。
B兜山古墳   二段築城の大型円墳で北陸最大級、頂上には八幡神社がある。
C烏ケ森社叢(林) 広壮な神明社の境内があり、旧瓜生家(宮司)住宅は国の重要文化財。
D追分     ここは神明社参道入口で、長泉寺町・北野町・糺町・田所町の分岐点。
E水落宿場跡碑 ここは北陸道の宿駅として馬十疋が置かれ、市も立った。
F北陸道の石碑 以前の住人が建てた? 風化が酷くかろうじて「北陸道」と読める。
G道幅が狭い街道 この辺りは道幅が狭く、福井大震災復旧の物資運搬には困難した。
H長泉寺一里塚跡 ここに一里塚があり榎があったが、今は何の痕跡も残っていない。
I地蔵橋    長泉寺三十六坊の僧が、ここの小川に地蔵尊を橋として渡した。
J鯖江藩陣屋跡 鯖江は誠照寺の門前町として発展、この近くに陣屋が置かれた。
K六地蔵    鯖江高校の前の通りには、六地蔵が二つ置かれている
L白鬼女橋と観世音堂 継体天皇のころ日野川中下流部は、白鬼女(しらきじょ)川と呼ばれた。
昔はここに橋はなく舟渡しがあった。
M題目塔    「南妙法蓮華経」と彫られた塔で、武生の街道沿いに多く見られる。
N柳原一里塚碑 柳原は陸路と水路の要地で、茶屋・料亭・商家が並びにぎわった。
15:19 福鉄スポーツ公園駅 乗車
16:12 福鉄福井駅前駅 下車 駅周辺で「打ち上げ会」

Cの烏ケ森社叢にある「旧瓜生家住宅」では、おじさんが居て熱心に案内をしてくれたので大変勉強になった。

Fの北陸道の石碑は、風化により何が彫られているかは判然としない。
ただ、「道路側の面」には「北陸道」とあるのがどうにか解る。
そこで、われわれ3人は文字の痕跡が微かに残る「北側の面」と「南側の面」の解読に力を合わせた。
大いに議論した結果「北側の面」には「神明村水落町」とあり、「南側の面」には「舟津村長泉寺」と彫られているとの結論を得たのである。

Hの長泉寺一里塚跡には、一里塚としての痕跡がまったく感じられず、碑も建っていないので、寂しい思いがした。

2023.10.23




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