薩摩藩(鹿児島県と宮崎県の南西部)島津家の教えに「男の順序」というのがあったそうである。
男の順序 1.何かに挑戦し成功した者 2.何かに挑戦し失敗した者 3.自ら挑戦しなかったが挑戦した人の手助けをした者 4.何もしなかった者 5.何もせず批判だけしている者
新聞かネットか何で知ったかは忘れたが、この「男の順序」が頭にこびりついてしまった。 マネージメントの世界では、この「男の順序」を取り上げて組織活性化を図ろうと、躍起になっている様子が見受けられる。 ここでは、会社とかではなく、人の生き方という側面から捉えて考えてみたい。
1.何かに挑戦し成功した者
仕事でもプライベートでも、初めてのことや自分にないことなど、何かに挑戦することは勇気がいることだと思う。 ましてや、結果を出し成功するなんていうのは、凄いことである。 男ばかりか、人間にとってすばらしいことだ。 何に挑戦するかは、小さなこともあれば大きなこともあるだろう。
わたしが20代のとき、税理士試験の予備校で机を並べたAさんは、それから10年後に合格し開業案内のハガキを送ってくれた。 同じ予備校で一緒だったBさんは、4科目受かっていて最後の1科目に挑戦していたが、合格の報はいまだにない。 (税理士試験は科目合格制をとっており、5科目受かれば税理士になることが出来る) AさんもBさんも、わたしより10〜20歳ほど年上だったから、仕事と家族をもって受験勉強を長年続けていたことになる。 とくにAさんは結果を出したから、その粘りと頑張りに畏敬の念を抱かずにはいられない。
2.何かに挑戦し失敗した者
何かに挑戦する姿は、さわやかで美しく素敵である。 だからこそ、失敗しても「よく頑張った」と、周りから称賛されるのだろう。
スポーツはその典型であり、勝者ばかりか敗者も観る者に大きな感動を与えてくれる。 だけども、敗者本人にしてみれば、負けは負けでしかない。 どんなに称賛されようが感動させようが、結果を出さなければ意味がない。 成功した者と失敗した者との「男の順序」はたった一つだけの違いだが、その差はそれ以上に大きいことは誰もが知っている。 ただメンタル面において、失敗しても人間的に成長する者がいることも確かである。
税理士試験で結果を出せなかったBさんは、その後中小企業診断士試験に挑戦し1次試験に合格し2次試験に挑戦したものの、やはり失敗した。 それでもめげることなく、今度は社会保険労務士試験に挑戦し、見事合格したのである。 資格試験に挑戦し続け、とうとう結果を出したその精神力には驚くばかりである。
3.自ら挑戦しなかったが挑戦した人の手助けをした者
自分ではこれといって挑戦することが思いつかなくても、他人が挑戦していると応援したくなる者・・・。 わたしにはそんな友人Cがいる。 Cはいつも朗らかで何事にも欲がなく、これといった趣味は持たない男だ。 ところが、他人が困っていたり寂しがっていたりすると、手を差しのべずにはいられない心温かい人間なのだ。
わたしが20代のころ、彼女に振られて会社を休み家で鬱々(うつうつ)していると、一升瓶とスルメを持って来て夜通し慰めてくれた。 会社人生が嫌になり税理士受験のため上京(横浜行)するときも、仲間を集めて激励会をやってくれ、いっしょに車で引越し荷物を運んでくれた。 わたしはその頃、Cにある資格試験を勧めたが、彼にその気はなく早くに結婚した。
試験に合格し事務所を開業すると、Cは親戚や知っている会社に連れて行ってくれ仕事先を見つけてくれた。 あげくに、30歳を目前にして結婚を焦っていると、今のカミさんを取り持ってくれ仲人まで立派に務めてくれたのだ。 披露宴では泣けたが、Cはそれ以上に涙をながしてくれた。 周りはあれこれと言うだけで何もしてくれない中にあって、Cはここまで手助けしてくれた。
人生でもっとも大切な時期に、励まし手助けし応援してくれたCのおかげで、わたしはくじけたりねじ曲がることなくこの歳までやってこれた。 Cには心奥から感謝しているが、Cとめぐりあえた僥倖(ぎょうこう)にも感謝せずにはいられない。 わたしにとって、Cの「男の順序」は3などとんでもないことで1が順当だと思う。 1と3はちょうど夫婦の関係と同じで順序に上下はないのだ。
4.何もしなかった者
挑戦することをしなかった者には、二通りがあると思う。 挑戦することが見つからなかった者と、見つかったけど挑戦しなかった者である。 やることが見つからなければ、挑戦するもしないもないからどうということはない。 ひとつの会社や役所でキョロキョロすることなく、定年まで真面目に勤めあげるのも立派な人生の姿だと思う。
それが出来ないから、何かに挑戦したくなってあれこれと探し求めた結果、これといったことが見つからず諦めてしまう。 仮に見つかったとしても、勤めを辞めていまの生活を棄ててまでも、それに挑戦する勇気とやり遂げる自信がなく諦めてしまう。 男は、そんな自分が情けなく自己嫌悪に陥ることになる。 それでも今ある自分を肯定化し、なんとか定年まで無難に勤めるのも一つの人生である。
安全で無難な人生を手放してまでして、やりたいことに挑戦し失敗すれば自分や家族の生活はどうなる。 手堅く生きることの何が悪い。 何もしなかった者だって、「男の順序」の1.2.3に劣るとは決して言い切れないと思う。
5.何もせず批判だけしている者
問題はこの5のタイプの男である。
自分は安全を確保し、ぬくぬくとしていて何もしない(本当は何も出来ないのかも・・・)。 そのくせ、他人が何かに挑戦するのを見て、「そんなことに一所懸命になってどうなるんだ」「そんなやり方じゃうまくいくわけがないよ」「どんなに頑張ったってどうせ駄目なんだろ」と批判だけする。 そして失敗すると、「だから言ったじゃないか」「どうせお前なんかに出来るわけがないと思っていたよ」などと、他人の失敗が嬉しくてたまらないような顔をする。
成功すると、「あいつはたまたま運が良かったのさ」「きっとなにかずるいことしたからだよ」と素直に喜んでやることをしない。 オマケに、「俺だって本気でやればあれくらいのこといつでも出来るさ」と、やりもせず出来もしないくせに大ぼらを吹いて悦に入っている。
どうにもこうにも始末に悪い奴なのである。 いや〜な奴、男からもっとも敬遠される奴、男ばかりか誰からも嫌われる奴。 だから「男の順序」では最下位5にランクされるのだ。 もちろん、4との差は10ランク以上も離れていることは自明のことである。
2020.7.16
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