誰にでも、「生きていく上での信条=(ふだんから)かたく信じていることがら」が、あるのではないだろうか。 そこで今回は、自分流の「生き方の信条」について、振り返ってみることにした。 私には次のような信条があり、自分の人生の羅針盤としてきた。
□俺には俺の生き方がある □反省はしても後悔はするな □努力に勝る天才なし □自分の物差しを持て □自己実現をめざせ □人の幸せより自分の幸せが大事
「俺には俺の生き方がある」については、前回「本との出合い この人生 20.6.4」の中で詳しく書いたので、今回は「反省はしても後悔はするな」について書いてみようと思う。
後悔″とは何か、手元の『三省堂国語辞典』を開いてみると、「あとになってくやむこと」とある。 なんだ、字面そのままではないか・・・とがっかりした。 ところが、続けて「後悔先に立たず 起こってしまってから後悔しても、どうにもならない」と、諺(ことわざ)を取り上げて説明を補っていることで、納得することができた。
済んだことをクヨクヨしても、何の解決にもならない。 確かにその通りである。 しかしながら、若い頃はクヨクヨ、グチグチして自分を追い込み自己嫌悪に陥り、揚げ句に鬱(うつ)に苦しむことになった。 そんな駄目な自分に、解決の糸口を与えてくれたのが、反省″の二文字だった。
辞典には、反省のことを「自分の心やおこないをかえりみること」と書いている。 何いってるんだ、忘れたくても忘れられないからクヨクヨ・グチグチしているんじゃないか、それをふり返ってどうするんだ・・・と腹立たしかった。 でもちょっと待てよ、後悔″という言葉にはネガティブで悪い印象しかないが、反省″にはポシティブで良い印象があるではないか。 われわれは子供の頃から何かあると、周りから「後悔しろ」とは言われなかったけど、「反省しろ」と言われてきたではないか。 このことに気がつき、意識のベクトルの向きが変わることで、少しだけど心が軽くなるような気がした。
解決の糸口をたぐり寄せることで、クヨクヨ・グチグチしてしまうようなことを、いかに忘れるか、これから先、後悔しないようにするにはどうしたらいいのか、そのためには、冷静になること、前向きに考えることが大切なのだ、という光明を見ることができたのだ。 以来、駄目な自分が恥かしくて嫌でしょうがなくて、穴にもぐりこみたくなるようなことがあっても、一人になって叫んでしまっても、夢に見てグッショリ汗をかいても、重い鬱までにはならなくなった。
齢を重ねたことで、か細い精神が少しは図太くなったこともあるだろう。 何とか、自分を宥めすかすコツのようなものを習得して、自己嫌悪はしてもそれ以上苦しむようなことはなくなった。 さらに図太くなって自己嫌悪もしなくなれば、この人生が楽園になるのかもしれない。 しかし・・・数少ない仲間を失うことになるのは必定だろう。
2020.6.23
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