『日本経済新聞』2019.5.20付の切り抜き、コラム「学びや発」には大いに感心させられた。 そして、世の中には素晴らしい先生=授業の達人がいたものだと、驚かされた。
腹立ったときに思わず口にする言葉、「コンチクショウ」の意味を、私たちはどれだけ深く理解していただろうか。 小説などを読めば「こん畜生」と書かれているので、相手を畜生呼ばわりしてその人格を貶(おとし)めているのだと解かる。 「この畜生野郎」が「こん畜生野郎」に変化し「こん畜生」に約(つづ)まっていった。
授業中に、「コンチクショウ」と叫んだ男子小学生を怒りつけるのではなく、その言葉の意味をクラス全員に考えさせ答を出させて、怒りで緊張に包まれた教室内の空気を和やかなものにもっていく。 これぞ授業の達人=名人といえよう。 まさに教え育てる=教育の真髄をみせてくれたといえよう。
こんな先生に教えられた子供たちは、一生その先生を忘れることなく、きっとまっすぐに成長していくことだろう。 先生=教職っていいもんだなあ・・・・・・と思いました。
なお、このコラムの末尾には(裕)と書かれているので、この裕氏が以前教師をしていて記者に転身したか、あるいは今も教師をしていて新聞社の求めに応じて書いたのか、いずれかだろうと推測している。
「学びや発」 子供の怒り 冷静に、いなす姿勢で 裕
「コンチクショウ!」。 6年生の国語の授業中、A男が突然大声を上げた。 ささいなことで近くの子になじられ、カチンときた様子。 机を倒さんばかりの勢いだ。 「やめなさい!」と大声で注意しようものならA男の怒りは爆発しかねない。 そこで、黒板に大きく「コンチクショウ」と書いた。 ざわつく教室。 「あのさあ、コンチクショウってどういう意味かわかる人いるかな?」 と穏やかな口調で全員に投げかけた。 きょとんとした顔をする子供たち。 しばらく待つと、B男が手を挙げた。 「コンはわからないけど、チクショウはけだもののことだと思います」 「なるほど、ありがとう」と伝え、「チクショウ」の横に「畜生=けだもの」と書き足した。 「では、コンは何かな?」と次の質問。 一触即発の状態だったのがうそのように教室は静まり返った。 A男も真剣なまなざしでこちらを見ている。 C子の手が挙がった。 「コンはたぶん『コノヤロウ』なんていうときの『コノ』がなまったんだと思います」 私は「ううむ、すばらしい解釈だね」と応じ、「コノ〜ヤロウ」と書いた。 「そうか、コンチクショウは『このけだものやろう』っていう意味なんだね。 A君、B君、Cさんのおかげで一つ勉強できました。 それにしても『このけだものやろう』っていうのはものすごい言葉だねえ・・・・・・」 さらに続いたやり取りは割愛するが、みんなで大笑いした後、A男も含めた全員が、何事もなかったかのように授業に取り組んでくれた。 子供の怒りに怒りをもって応じてしまうと、火に油を注ぐことになる。 いなす姿勢が大切だが、教員は今、背負いきれないほど多くの課題とそれに伴うストレスを抱え、ちょっとしたことで短絡的に反応しがちだ。 ずいぶん前の授業での一幕だが、慌しさの中で気持ちにゆとりがなくなると、思い出すようにしている。
2020.5.29
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