大雪警報だ。 大雪がやって来た。 道路も電車も、交通体系はズタズタになってしまった。
高速道路も国道も一般道路も、各地で通行止めになっている。 高速道路が通行止めになれば、運送業者はままならない。 電車は、敦賀発の特急サンダーバードと特急しらさぎが全面運休だ。 関西・中京方面への乗客は、大変な目に遭っている。 当然、他の電車も、全面運休や減便や遅れが生じている。 人流にも物流にも、多大な影響が出ている。 経済活動への影響も心配である。
そんな中にあって、北陸新幹線とえちぜん鉄道が通常運転している、というからさすがだ。 新幹線がこんなに雪に強いとは知らなかった。 それと驚いたのが、えちぜん鉄道の大健闘である。 京福電鉄時代は、とかく遅れや運休や事故が多かったものだ。 それが、3セクえちぜん鉄道になってから、アテンダントを置くなどして客扱いが大幅に改善されたし、事故も殆どなくなった。 京福電鉄時代が、いかに殿様商売だったかが分かる。
さて、この大雪にあって、今日はあわら市長選と福井県知事選の投票日だ。 雪に翻弄されて、投票率は必ず落ちる。 過去の北陸3県の投票行動データに、そのことが如実に表れている。 その影響が吉と出るか凶と出るか、候補者は戦々恐々としていることだろう。 私と仲間は、期日前投票しておいてよかった。
大雪になると、昭和38年1月の三八(サンパチ)豪雪″と、昭和55年12月〜56年1月の五六(ゴウロク)豪雪″を思い出す。
三八豪雪のときは、小学5年生だった。 一気に来た雪は2mに達したから、屋根から落ちた雪が軒先まで届き、梯子を掛けずに屋根に上り、家中総出で雪落しをした。 雪と格闘した後は、囲炉裏(いろり)と炬燵(こたつ)で暖を取ったが、冷え切った手が温まるに従い疼(うず)いてくるので慌てたものだ。
通常だと1月8日から3学期が始まるが、臨時休校が1週間以上も続いたように記憶している。 当時は車社会ではないので、除雪車など来る筈はなく、雪を踏みしめて歩いて学校に通った。 教室には四角形の大きな火鉢があるのみだった。 今では考えられないことだ。
最寄りのJR(当時は国鉄)細呂木駅では、雪で動けなくなった列車(当時は蒸気機関車)が立ち往生していて、地元の婦人会が炊き出しをしていたことを覚えている。 大変な被害状況に陥っていたのである。
五六豪雪は、三八豪雪と違い3度に分けてやって来た。 したがって、積雪量は累積では2m近くに達したが、三八豪雪ほどの凄さはなかった。 ただ、車社会にあって道路の除雪が大問題になった。 せっかく除雪車が通っても、道路わきに雪の山が積み上がり、その排雪が終わらないうちに、次の積雪が襲いかかって来る。
昭和56年、私は事務所を独立開業して2年目、29歳と若かった。 結婚はしていたが、子はまだなかった。 雪との戦いは孤軍奮闘した。 だが、29歳、元気一杯だった。
屋根から落とした雪は軒先まで届き、玄関を塞(ふさ)いでしまった。 その雪はどこにも持って行きようがないので、雪山を踏み固め、スコップで彫刻し、階段を作った。 階段は玄関側と道路側に渡って上り下りすることになる。 階段作りは結構面白く、能天気なものだった。
これを書いていて、窓の外に目をやると、雪が降り続いている。 この雪はどれくらい積もるのだろう。 寒いのは我慢できるし何とかなる。 しかし雪は嫌だ。 この歳になれば、雪なんていいことなど″一つもない。
2026.1.25
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