■ 大雪だ!2026.1.25


大雪警報だ。
大雪がやって来た。
道路も電車も、交通体系はズタズタになってしまった。

高速道路も国道も一般道路も、各地で通行止めになっている。
高速道路が通行止めになれば、運送業者はままならない。
電車は、敦賀発の特急サンダーバードと特急しらさぎが全面運休だ。
関西・中京方面への乗客は、大変な目に遭っている。
当然、他の電車も、全面運休や減便や遅れが生じている。
人流にも物流にも、多大な影響が出ている。
経済活動への影響も心配である。

そんな中にあって、北陸新幹線とえちぜん鉄道が通常運転している、というからさすがだ。
新幹線がこんなに雪に強いとは知らなかった。
それと驚いたのが、えちぜん鉄道の大健闘である。
京福電鉄時代は、とかく遅れや運休や事故が多かったものだ。
それが、3セクえちぜん鉄道になってから、アテンダントを置くなどして客扱いが大幅に改善されたし、事故も殆どなくなった。
京福電鉄時代が、いかに殿様商売だったかが分かる。

さて、この大雪にあって、今日はあわら市長選と福井県知事選の投票日だ。
雪に翻弄されて、投票率は必ず落ちる。
過去の北陸3県の投票行動データに、そのことが如実に表れている。
その影響が吉と出るか凶と出るか、候補者は戦々恐々としていることだろう。
私と仲間は、期日前投票しておいてよかった。

大雪になると、昭和38年1月の三八(サンパチ)豪雪″と、昭和55年12月〜56年1月の五六(ゴウロク)豪雪″を思い出す。

三八豪雪のときは、小学5年生だった。
一気に来た雪は2mに達したから、屋根から落ちた雪が軒先まで届き、梯子を掛けずに屋根に上り、家中総出で雪落しをした。
雪と格闘した後は、囲炉裏(いろり)と炬燵(こたつ)で暖を取ったが、冷え切った手が温まるに従い疼(うず)いてくるので慌てたものだ。

通常だと1月8日から3学期が始まるが、臨時休校が1週間以上も続いたように記憶している。
当時は車社会ではないので、除雪車など来る筈はなく、雪を踏みしめて歩いて学校に通った。
教室には四角形の大きな火鉢があるのみだった。
今では考えられないことだ。

最寄りのJR(当時は国鉄)細呂木駅では、雪で動けなくなった列車(当時は蒸気機関車)が立ち往生していて、地元の婦人会が炊き出しをしていたことを覚えている。
大変な被害状況に陥っていたのである。

五六豪雪は、三八豪雪と違い3度に分けてやって来た。
したがって、積雪量は累積では2m近くに達したが、三八豪雪ほどの凄さはなかった。
ただ、車社会にあって道路の除雪が大問題になった。
せっかく除雪車が通っても、道路わきに雪の山が積み上がり、その排雪が終わらないうちに、次の積雪が襲いかかって来る。

昭和56年、私は事務所を独立開業して2年目、29歳と若かった。
結婚はしていたが、子はまだなかった。
雪との戦いは孤軍奮闘した。
だが、29歳、元気一杯だった。

屋根から落とした雪は軒先まで届き、玄関を塞(ふさ)いでしまった。
その雪はどこにも持って行きようがないので、雪山を踏み固め、スコップで彫刻し、階段を作った。
階段は玄関側と道路側に渡って上り下りすることになる。
階段作りは結構面白く、能天気なものだった。

これを書いていて、窓の外に目をやると、雪が降り続いている。
この雪はどれくらい積もるのだろう。
寒いのは我慢できるし何とかなる。
しかし雪は嫌だ。
この歳になれば、雪なんていいことなど″一つもない。

2026.1.25




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