■ パチンコと小説を書くこと2025.12.27


小説を書くということは、自分にとっては頑張りと粘り、その辛さに忍耐することに他ならない。
つくづく、そのように思う。

若い頃の話である。
軍艦マーチに誘われてパチンコ屋に入ると、入口に大抵ニコリともしないおばさんがいる。
百円で玉を買い、今と違って椅子などないから、これはという台に立ったままで向かう。
昔のパチンコ屋では、しょっちゅう店内のマイク放送が叫んでいたものだ。

「いらっしゃいませ! いらっしゃいませ! 頑張りと粘り! 頑張りと粘り!」

左手の指で1個ずつ玉を入れ、右手の親指でレバーを弾いて玉を打つ。
これを間なしに続ける。
だから「頑張りと粘り!」ということになる訳だ。
玉が入れば楽しいが、手持ちの玉はあっという間に無くなってしまう。

無くなれば、不愛想なおばさんに百円玉を差し出す。
今度こそ「頑張りと粘りだ」と意気込んで玉を打つ。
またしても、あっという間に玉ははずれ穴に消えていく。
これを繰り返していくうちに楽しさは失せ、意地になってその辛さを耐えることになる。

やがてチーン! ジャラジャラ!″と、景気よく玉が出始めてくる。
こうなったらしめたものだ。
鼻歌のひとつも歌いながら、受け皿に玉が溢れるのを見て、「ざまあみやがれ」とニヤニヤ顔になる。
ところが、こんなことは珍しいので、大概、その辛さと忍耐に負け、騒がしいパチンコ屋を出ることになるのだ。

小説を書き出しても、思うようにペンが進まない。
これではイカンと頑張っても、何とかしなくてはと粘っても、どうにもならない。
やがてその辛さに負け、忍耐の限界を超えてしまう。
これまで、そんなことをどれだけ繰り返してきたことか。

何とか仕上げた作品は、せいぜいで400字詰め原稿用紙10枚までである。
長いものでも原稿用紙30枚程度でしかない。
それでも、書き上げたときの達成感、充実感がいい。

たまに、楽しくなるほど筆運びが良くなることがある。
そんなときは、満足のいく作品が書けたりするものだ。
その喜びを味わうために書くことを止めないのだと思う。

小説を書くことは頑張りと粘り、自分との戦いであり、自分のためである。

2025.12.27




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