小説を書くということは、自分にとっては頑張りと粘り、その辛さに忍耐することに他ならない。 つくづく、そのように思う。
若い頃の話である。 軍艦マーチに誘われてパチンコ屋に入ると、入口に大抵ニコリともしないおばさんがいる。 百円で玉を買い、今と違って椅子などないから、これはという台に立ったままで向かう。 昔のパチンコ屋では、しょっちゅう店内のマイク放送が叫んでいたものだ。
「いらっしゃいませ! いらっしゃいませ! 頑張りと粘り! 頑張りと粘り!」
左手の指で1個ずつ玉を入れ、右手の親指でレバーを弾いて玉を打つ。 これを間なしに続ける。 だから「頑張りと粘り!」ということになる訳だ。 玉が入れば楽しいが、手持ちの玉はあっという間に無くなってしまう。
無くなれば、不愛想なおばさんに百円玉を差し出す。 今度こそ「頑張りと粘りだ」と意気込んで玉を打つ。 またしても、あっという間に玉ははずれ穴に消えていく。 これを繰り返していくうちに楽しさは失せ、意地になってその辛さを耐えることになる。
やがてチーン! ジャラジャラ!″と、景気よく玉が出始めてくる。 こうなったらしめたものだ。 鼻歌のひとつも歌いながら、受け皿に玉が溢れるのを見て、「ざまあみやがれ」とニヤニヤ顔になる。 ところが、こんなことは珍しいので、大概、その辛さと忍耐に負け、騒がしいパチンコ屋を出ることになるのだ。
小説を書き出しても、思うようにペンが進まない。 これではイカンと頑張っても、何とかしなくてはと粘っても、どうにもならない。 やがてその辛さに負け、忍耐の限界を超えてしまう。 これまで、そんなことをどれだけ繰り返してきたことか。
何とか仕上げた作品は、せいぜいで400字詰め原稿用紙10枚までである。 長いものでも原稿用紙30枚程度でしかない。 それでも、書き上げたときの達成感、充実感がいい。
たまに、楽しくなるほど筆運びが良くなることがある。 そんなときは、満足のいく作品が書けたりするものだ。 その喜びを味わうために書くことを止めないのだと思う。
小説を書くことは頑張りと粘り、自分との戦いであり、自分のためである。
2025.12.27
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