昨日は、天気予報が雲と雨マークだったので、終日家に籠るつもりで、書斎の机に向かった。 いつものように新聞にザッと目を通し、パソコンを開いた。 あれこれと頭がザラツク前に、Wordの画面に対峙し、文章を書きたいからだ。
これはという材料が既にあるときは、楽に書き出せるが、そんなことは週に二日と無い。 大概、窓から見える空をぼんやりと眺め、何かが頭にポッカリと雲のように浮かばないかと待つ。 いくら待っても簡単に浮かんでくることはない。 仕方がないので、机の上にある読みかけの本をパラパラとめくってみたり、本棚に並ぶスクラップブックを開いてみたりする。
何か書くことのきっかけをつかみたいと、必死になっている自分が情けない。 「仕事ではないのだから、書けないならそれでいいではないか」 もう一人の自分がそう話しかけてくる。 「いや、一度気を抜いてしまうと、次は書き出すのにもっと大変な思いをするのだ」 そう反論して自分を励ます。
これまでがそうだった。 「まあ、今日ぐらい休んでもいいか」 そうして一日休んでしまったらいけない。 「もう一日ぐらいいいだろう」 それを繰り返してしまう。 楽を覚えてしまうと、元に戻すには何倍もの苦しみを味わうことになる。
スポーツがそうだ。 油断してトレーニングをサボると、元の筋力を取り戻すのに大変な目に遭う。 ダイエットがそうだ。 ちょっとだけならいいだろうと、我慢していた甘いものや肉を食べると、あっという間にリバウンドがきて泣きたい思いをする。
そうならないためにも、今を頑張るのだ。 スクラップブックを本棚に戻すと、椅子に掛け、充電中のスマホを手に取った。 LINEやShortMailの着信はない。
何気なく写真のアイコンをタッチした。 すると昨日歩いているときに撮った、見事な群青色の冬空に目が奪われてしまった。 「われながら素晴らしいシャッターセンスだ」 文字通りの自画自賛に笑ってしまう。
昨日は今日と同じで、天気予報は晴マークなど出していなかった。 ところが、エッセイを書き上げ窓の外を見上げたら、真っ青な空が広がっているではないか。 遅いお昼を済ますと、迷わず帽子をかぶりウォーキングシューズを履いた。 軽く柔軟体操をし、いつもの宮谷川の堤防を北に向かったのだ。
しばらく歩くと、雲一つない空を見上げながら、大きく両腕を広げ背伸びをした。 心地よい衝撃で、朝から淀んだようになっていた血が全身に流れ出した。 勢いづいて足早に歩を進めると、じんわりと背が汗ばんできた。 心までが晴ればれとする汗だ。
スマホのカメラを、見事な群青色に染まった冬空に向けた。 たった1回押したシャッターで、納得のいくものが撮れた。 われながら見事だと、ひとりニヤリとするのだった。
2025.12.12
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