子供の頃、サツマイモ、トウモロコシ、柿、イチジク、グミなどが豊富に採れた。 ところが、どれもこれも満足なおやつではなかった。 村には店というものがなく、お菓子を食べたくても買い物する習慣がなく、仕方なくイモや木の実を食べていたのだ。
だがしかし、金を出しても買えない旨いおやつがあった。 かきもち、焼きもち、牛乳だ。
かきもちは、毎年1月下旬の大寒になると、申し合わせたように村中の家が幾臼もついたものだ。 海苔や昆布、ゴマ、豆、小海老などを入れてついたものを、「もろぶた(深さ10a・幅50a・長さ1bほどの木の箱)」に伸ばし、生乾きにする。 それを、厚さ5ミリ・幅4a・長さ9aほどに切ったものを2、3枚ずつ1bほど藁で編んで、家の廊下などに天井から吊り下げる。 ひと月位でほどよく乾くので、一斗缶に詰め保存する。
一年を通じて、焼いたり、油で揚げて、お茶うけやおやつに食べるのだ。 これが旨かった。 七輪で火を熾(おこ)し、焦げ目がつくほど焼いたのが大好きだった。 火を熾すのには段取りというものがあった。 先ずちぎった新聞紙を七輪に入れ火をつける。 次に、消し炭(囲炉裏で薪が燃えて出来た炭を「消し壺」に入れて火を消したもの)をその上に置くと簡単に火がつく。 これでOKだが、さらに堅炭(かたずみ)を足すと火が長持ちしたものだ。
母親が油で揚げてくれたのは、高級感があり油が香ばしくて旨かった。
こんぼち(混ん餅)というのもあった。 これはもち米にうるち米を混ぜ、黒豆や大豆を入れてついたものを、「もろぶた」に、高さ4a・幅10a・長さ1bほどに伸ばし、生乾きにしたものを厚さ1aほどに切る。 後はかきもちと手順は同じだ。 こんぼちは歯応えがあり、噛めば噛むほど味が出て旨かった。 油で揚げたのも好きだった。
焼もちは、正月の鏡餅といっしょに雑煮用にと、年末についた丸餅を焼いたものである。 雑煮だけでは食べきれないほど作ったものだ。 これが絶好のおやつとなった。
餅はかきもちと違い火鉢で焼いた。 餅を焼くのは楽しいものだった。 何度も裏返して、餅の芯まで柔らかく全体にふっくらとするまで、焦げないように焼く。 焼けたらさらに、醤油をつけてこんがりと焼くのだが、これからが勝負となる。 油断すると、表面が焦げるのを通り越して燃えて炭になってしまうのだ。 こうなっては苦くて不味くなる。 決して大げさではなく、醤油をつけたら餅と対峙して真剣勝負となる。 何といっても、ここが腕の見せどころで楽しいのだ。
ほどよく焼けたらフーフーして口に運ぶ。 アチッ! となるから口を開けて、空気を吸ったり吐いたりして餅を冷ます。 それを舌で奥にやり噛むと、餅の柔らかさと醤油の香ばしさが口一杯に拡がって旨い。 飲み込むのが惜しいほどに旨い。
焼き海苔を巻けば磯辺巻きになるが、あの頃は海苔など常備してないから、海苔なしで食べた。 でも文句なく旨かった。 海苔のない方が餅と醤油の旨さが引き立って旨かった。
焼きもちは大好物なので、今でもオーブントースターで作って食べる。 でも、火鉢の炭火で焼いたあの味には遠く及ばない。 残念だが、あの時代にタイムスリップしない限り、あの旨さは味わえないのだ。
牛乳は、酪農家だからこそ飲める搾りたて成分無調整のまさに牛乳(ぎゅうちち)だった。 毎日、沸騰直前まで温めたものを、牛乳瓶1本分だけ飲んでいた。 牛乳は商売物だから、それ以上は飲めなかったのだ。 栄養満点の牛乳は贅沢で旨かった。
2025.10.24
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