■ 子供の頃に食べたおやつ(その1)2025.10.23


秋は果物やさつま芋のシーズンだ。

わが家は稲作農家で酪農家だったので、この季節になると秋の味覚が豊富にあった。
サツマイモ、トウモロコシ、柿、イチジク、グミなど家の周りや牧草地で豊富に採れた。

サツマイモには十三里という品種があって、栗より旨い十三里″と語呂合わせで、栗すなわち九里より旨い″といわれたものだ。
ところが栗より旨い″どころか、これがただ大きいだけで不味かった。
おそらく、戦中戦後の食糧不足の貴重な食糧のなごりで、作られ続けてきたのだろうと思う。

子供の両手に余るほども大きいから、半分に切りおおきな鍋で蒸かして食べたものだ。
口の中でモサモサするだけで甘くなく、なかなか喉を通らなかった。
それがトラウマとなって、ブランドものが道の駅やスーパーに並んでも見向きもしない。
たまに焼き芋や天ぷらで食べる機会がある。
あの頃と違い、今のさつまいもは格段に旨くなっている。
だが、金を出してまで食べようとは思わない。

トウモロコシは山の牧草地で大量に作られた。
刈られたトウモロコシを茎ごと丸々カッターで裁断し、サイロに詰め、青草のない冬の餌にするのだ。
だからトウモロコシはいくらでも採ることができた。
ところが牛の餌にするためのものだから、実がギッチリと生っているのは少なかった。
焼いたり茹でたりして食べたが、味はいまひとつ物足りなかった。
でも、サツマイモのように目を背けることはなく、そこそこに食べたものだ。
お祭りで醤油の焦げる香ばしい匂いをさせて、焼トウモロコシが売られていて人気があるようだ。
だが、一度も買って食べたことはない。

柿はサツマイモと同じで、いまでは手が出なくなっている。
家の裏に甘柿だか渋柿だか中途半端な柿の木があった。
実を齧ると運が良ければ甘いが渋いときの方が多かった。
渋いのをかじると口や舌が痺れたようになって大変な目に遭う。
それに懲りて柿をもぐことはしなくなった

村の家々ではどこでもつるし柿を軒先に下げたものだ。
それは見事なものだった。
わが家でもつるし柿を作った。
「何かない」とおやつをねだると「つるし柿でも食べときね」と母にいわれたものだ。
軒先に吊るされた中途半端に干された柿を齧ると、グチャッとしてその食感が気持ち悪かった。
大きな種が歯にあたるのも嫌だった。
いまではブランドの柿であれつるし柿であれ、まず口にすることはない。

家の裏にはイチジクの木もあった。
実は良くついた。
青いのが色づき食べごろになると、必ず絶妙なタイミングで鳥に食われてしまった。
カラスやスズメではないようだが、犯人の鳥が何だったか分からないのが悔しかったのを覚えている。

グミは青からオレンジになり赤くなれば食べごろだ。
残念なことに、これも鳥にやられてしまうので、赤くなる前にとったものだ。
渋みがあってそれほど旨いとは思わなかった。

こうして振り返ってみると、どれもこれも満足なおやつではなかったことが分かる。
村には店というものがなく、五円玉や十円玉を握りしめて買い物することがない。
だから仕方なくイモや木の実を食べていたのだ。

2025.10.23




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