■ 走り書きしたメモ −その4−2025.9.2


思いついたことをメモするのは楽しいものだ。
これを文章にまとめればいいものになるぞとワクワクする。
ところが、日数が経つとそのワクワク感を忘失してしまう。
せっかくのメモがただの紙屑になってしまうのだ。

蕎麦や刺身が出来たてが一番うまいのと同じだ。
気の抜けたビールが不味くて飲めないのと同じだ。
「走り書きしたメモ」を書き続けていると、つくづくそのことを実感する。

さて今回は「走り書きしたメモ」も4回目で、これが最後となる。
残された3つについて書こう。

L「生老病死」

「生老病死(しょうろうびょうし)」とは仏教で使われる言葉で、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことをいう。
人が生きていくのに避けられない4つの苦しみを意味する。

どう考えても、何故これをメモしたかが解らない。
自分が老いて死が近くなってきたからだろうか。
そんなことはいまさらメモするまでもないし、文章表現することでもない。
どうにも嫌なメモだ。

M「いくつになっても誰にでも想いを寄せる人がいるのではないだろうか? 金沢競馬」

「いくつになっても誰にでも想いを寄せる人がいるのではないだろうか?」

うまい蕎麦とソースかつ丼を食べさせる蕎麦屋がある。
そこに併設された洋菓子店に素敵な女性がいる。
35、6歳から41、2歳でおそらく既婚者だろう。
接客や身のこなしが良くて、見ていて気持ちがいい。
あんな女(ひと)と話したり食事したら楽しいだろうなと想いを巡らす。

ただそれだけのことで、若い頃のように心が切なくなるようなことはない。
やはり野に置けれんげ草″だ。
女はながめているだけがいい″ということだ。

「金沢競馬」

これは「いくつになっても・・・」とは、100%関係性が見出せない。
それもそのはず、黒のボールペンで書いた「いくつになっても・・・」のメモ用紙に、青のボールペンで書き加えているからだ。
テレビで金沢競馬のことをやっているのを観て、面白そうだから行ってみたいと気まぐれにメモした。

いつだったか、父が叔父さんに誘われて金沢競馬で勝ったことがあった。
仲間の一人が金沢に住んでいる。
そんなことがあり、一度くらいなら仲間と3人で行くのも悪くはないと思ったということだ。

いつでも行けると思うと、なかなか腰が上らないものだ。

N「宮谷川堤防を歩いていると出会う生き物たち」

これは、お気に入りのウォーキングコース「宮谷川堤防を歩いていると出会う生き物たち」について書こうと思い、メモしたものだ。
宮谷川周辺には様々な生き物がいて、目を楽しませてくれる。

川や田ではサギが静止画のように佇み、魚やカエル、虫などを狙っている。
サギはつがいで行動する習性があるのか、二羽でいることが多い。
カラスもよく見るが数羽でうるさく鳴いている。
スズメはたまに見るが、せいぜい7、8羽の群れで寂しい。

堤防を歩いていると、チョウやトンボが結構いるものだ。
そして人なつっこいので驚く。
名前は知らないが、白や黄色のチョウは5〜10mほども付きまとってくるのが、微笑ましい。
トンボはシオカラトンボに赤とんぼが付きまとってくるが、子供の頃を思い出し懐かしい。
真黒の糸トンボは、堤防脇の草むらに5、6匹が群れていて可愛い。

ヘビには数回出くわしたことがある。
堤防のアスファルト舗装で体温を上げているのだろう。
子供のときの悪戯心(いたずらごころ)が湧いてきて、しっぽを踏んだことがある。
向ってくるかと思ったが、凄いスピードで田に逃げて行った。

川に魚影を見ることはまずない。
昔は釣り糸を垂れる人をよく見かけたが、護岸工事をしてから皆無だ。
卵を産み付ける草むらがなくなれば、鯉も鮒も川を上ってくる筈がない。

そんな生き物たちのことを、もっと詳細に書こうと思いメモした。
ところがこうして書いてみると、書くことが薄っぺらになってしまうことが解った。
図鑑や専門書を調べてまで書く意欲はない。
この程度にしておこう。

記録的な猛暑が続き熱中症が怖くて、7月以降は歩くのを控えている。

2025.9.2




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