走り書きしたメモ用紙がクリップで留めて、机上に置いてある。 書くことの材料にしようとしたものだ。 数えると15枚もある。
確認してみると、当然、新しいものが上に古いものが下に留められている。 何でこんなことをメモしたのかと、首を傾げてしまうものもある。
@「目黒のさんま 食い物はかんきょうによってうまくなる。」
落語の演目に「目黒のさんま」というのがある。 出先で腹が空いた殿様が、目黒の百姓家で焼いたさんまを食べると、とても美味かった。 屋敷に帰った殿様はさんまの味が忘れられず所望すると、家来が身体に悪いからと蒸して油を抜いたものを出した。 殿様は一口食べると言った。 「さんまは目黒に限る」
メモには「食い物はかんきょうによってうまくなる」とあるから、落語とはニュアンスが違う。 確かにおにぎり弁当や駅弁は、家で食べるより旅先で景色を見ながら食べるから美味い。 メモではこれと同じで、殿様が屋敷より出先で食べたから美味かったと捉えている。 何でこんなメモをしたのか分からない。
A「昔は目ぐろのさんま 今は母の味 たくあんの煮たの!」
このメモを読んで@の疑問が解けた。 子供の頃は「目黒のさんま」のように、焼いたさんまが美味くて好きだった。 ところが、この歳になるとさんまも好きだが、子供の頃母が練炭火鉢でコトコトと煮たたくあんが懐かしい。 このメモでは、子供の頃に食べたさんまを「昔は目ぐろのさんま」に例え、今食べたいのが「母の味たくあんの煮たの」だと言いたかったのだ。
姉が母の「たくあんの煮たの」を見事に再現して、ときどき持って来てくれた。 ところが、ここ数年はたくあんを漬けなくなったのか、食べていない。 残念だ。
B「博愛(主義)」
三省堂国語辞典第四版によれば、「博愛」とは「すべての人を平等に愛すること。―主義」とある。 何でこんなメモをしたのか。 さっぱり分からない。 TVでロシアによるウクライナ侵略戦争の悲惨さを見て、何か書こうと思ったのか?
C「畑わさびの生産日本一 岩手県岩泉町 チューブワサビの原料となる」
これは覚えている。 TVでタレントが、岩手県岩泉町のわさび農家をレポートしていたのだ。 メモしたのには、2つの理由があった。
一つは、スーパーの刺身コーナーで売られている「チューブワサビ」が、畑で生産されていることに驚いたからだ。 わさびは静岡県などの山間地の沢に作ったわさび田で育つものばかりだと思っていた。 タレントが畑わさびを試食していたが、強烈に辛いそうだ。 沢水で育てたわさびは、生で刺身やざるそばなどに添えられる。 これに対して畑わさびは、加工されてチューブに入れられて利用される。 安くて手軽で保存が効くのが売りということになろう。
もう一つは、岩手県岩泉町とい地名である。 私が簿記を習った先生の出身地は、「岩手県西磐井郡花泉町金沢」だった。 花泉町と岩泉町が一字違いなので親しみを持ったということだ。 地図で調べてみると、岩泉町は花泉町から北に直線距離で125qも離れている。 花泉町は宮城県境まで500m、仙台は南に6qでしかない。
都道府県でいちばん面積が広いのは、北海道であることは誰でも知っている。 実はその次が岩手県で、都府県では最大なのである。 それに福島県が続く。 1 北海道83,457.06㎢ 2 岩手県15,278.89㎢ 3 福島県13,782.76㎢ こうして数字で比べてみると、岩手県がいかに広いかということが解る。 殆んどが山岳・高地で「日本のチベット」と揶揄されることもあるらしい。
このように書いてみるとメモひとつでも、あれこれと思いが巡り、書くことがいくらでも出てくる。 結構面白い。
Dからのメモについては次に回すことにしたい。
D「ただお前がいい歌詞 おもいを込めた詩をかく いいぞ! 小ぐら佳の歌にのめり込んだ」 E「女はながめているだけがいい 男も期待しない方がいい」 F「フォークソング あのすばらしい――― フォーク世代 フォークル」 G「今だからわかる彼女たちの想い やり直しはできない。」 H「人というものは良いことをしながら悪いことをする」 I「善と悪とがないまぜになった生き物 人の世もじんじょう 政治も同じか?」 J「子供の頃から台所に立っていた。幸不幸は当人が決めることだ」 K「生まれ育った古里は自分の原点だ 18で離れたけど結局戻ってきた」 L「生老病死」 M「いくつになっても誰にでも想いを寄せる人がいるのではないだろうか? 金沢競馬」 N「宮谷川堤防を歩いていると出会う生き物たち」
2025.8.29
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