師走になって、通夜・葬式や法事が相次いだ。
24日 仲間の弔問 26日 仲間の通夜 27日 仲間の葬式 義母の忌明け 兄嫁の弟の通夜
仲間が亡くなったことは25日のエッセイに書いた。 26日に通夜が行なわれたが、新聞のおくやみ欄には、お決まりのように載っていた。 「通夜は廻り焼香、葬儀は近親者で執り行います」 旧金津町の仲間と2人で参列したが、弔問のとき同様、涙が出て止まらなかった。 当然、親族席は満席だったが、一般席は我われを含め5、6人しかいなかった。
翌27日の葬式は9時30分となっていたので、義母の忌明けと完全にバッティングしてしまう。 残念だが仲間の葬式には参列できない。 ところが、「葬儀は近親者で」ということなので、どうせ参列するのは不可能だ。 そう思っていると、仲間は「俺はせめて出棺見送りだけでもしたい」という。 そこで式場のスタッフに確認した。 するとあっさりと答えてくれた。 「お葬式に参列していただいて結構ですよ」 何のことはない、これでは通常の通夜・葬式と何ら変わらないではないか。 なぜ、わざわざ、「葬儀は近親者で」と断わるのだろう。 いつも思うことだが、冠婚葬祭の世界は不可思議なことが多すぎる。
27日、雪がチラつく中、義母の家で忌明け法要が行なわれた。 お寺さんが時間通り10時30分にお出でになった。 長男夫婦、我われ長女夫婦と娘2人、次女、計7人が参列した。 ざっくばらんな御前で、焼香など段取りを説明してくれ、読経が始まった。 宗派は真宗三門徒派だから、わが家の真宗大谷派と通じるものがある。 経文とその読経の流れは、何となく分かっている。 小1時間で終わると、次があるからと世話しなくお引き取りになった。
皆でノンアルコールのビールを飲み、取寄せた弁当を食べながら、思いつくことをあれこれ話していると近所の人が訪ねてきた。 その近所の人から香典をいただいたので香典返しをしたが、それを受け取れないからと返しにきたのだ。 仕方なくミカンを持って帰ってもらったとのこと。 香典をいただけば香典返しをするのは当然のことではないか。 しかも、いったん受け取ったものをわざわざ返しにくる。 これまた不可思議なことだ。
食事が済むと、お仏壇周りを片付けながら話した。 長男は大阪だし、長女は私のあわら市、次女は東京である。 したがって、この家は無人となるので家仕舞いしなければならない。 そうなると仏壇仏具をどうする。 土地やお墓はどうする。 この家で生まれ育った兄妹3人、それぞれが深層を掘り起こし懐かしくも悩ましい想いを巡らしたことであろう。
お寺さんが読経を終えた頃、スマホにLINEが入った。 仲間の葬式に参列した仲間からだ。 「M見送り終わりました。よく泣けたわ😢」 すぐ返信した。 「ありがとう。あと49日で三途の川を越えて冥土だな。こちらも今 御勤めが終わった。」
家に帰ってから、仲間に電話すると49日の忌明けに行こうと言う。 仲間のその気持ちはよく分かる。 だけど忌明けは近親者のもので、我われ友人が顔出ししていいものだろうか。 その不可思議を、当日までに解明する必要があるだろう。
18時には兄嫁の弟の通夜が待っている。 姉と一緒に参列した。 驚いた。 受付を済ませ焼香し親族席に腰を下ろした。 何故だか落ち着かないのである。 式場全体が騒がしく、厳粛さが全く感じられないのだ。 あちらでもこちらでも皆が大きな声で話している。 BGMに歌謡曲が流れている。 しかもそれが小林旭の流行歌だ。 騒がしい筈だ。 これが驚かせずしてどうする。
73年も生きてきて、葬儀式場内に流れる歌謡曲を聴かされるなんてことは、初めてだ。 恐らく故人が望んでいたことなのだろう。 故人の人柄を思えば十分考えられる。 それにしても、式場側もよくもまあ思い切ったことをやってのけたものだ。 商売とはいえ常識を疑わざるを得ない。 この師走、最大の不可思議だった。
2025.12.28
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