今日の『福井新聞』「くらしの川柳」欄は、11月分秀句が掲載されている。 その中に次の作品がある。
長生きだ 老春謳歌 これもよし″
耳慣れない老春″という言葉が新鮮で魅かれた。 SNSで検索してみた。 するとAIが回答してくれた。
「老春」は、主に老齢になって迎える人生に春や、晩春(春の終わり)を意味します。 また、俳句の季語としては「新年」や「老い」を指すこともあります。 さらに、近年の造語として、定年後の人生を第二の青春時代として捉え、積極的に楽しむ時期を指す場合もあります。
なるほど、この言葉は俳句の季語になっているのだ。 俳句をやらない自分が新鮮に思った筈である。
それはそれとして、「定年後の人生を第二の青春時代として捉え、積極的に楽しむ時期」、これに、我が意を得たり、と思った。 仕事をリタイアした自分は、今まさに、「第二の青春時代」を楽しんでいるのだ。
本来の青春時代は、10代から20代の頃と定義されるであろう 中学生、高校生、大学生、新社会人、結婚するまで、ということになる。 私には青春を謳歌したような実感は殆どない。 学校が楽しいとは思わなかったし、会社勤めにやりがいを見出すことはなかった。 恋愛らしきことは二三度あったけど、燃えるようなものではなかった。
ただ、未だにちゃん付け″で呼ぶ仲間と出会ったし、自分の事務所を開業できたことはラッキーだった。
嫌なこと、悔しいこと、悲しいこと、残念なこと、苦しいこと、辛いこと・・・ 青春時代を振り返れば、ネガティブなことばかりが頭をよぎってしまう。 太宰治じゃないが、恥ずかしい人生″を送っていたのだ。 だがしかし、それらのことが石垣となって、いまの老春を支えてくれている。
この老春の日々が、ありがたく、嬉しく、楽しく、愛おしい。 いつまでそんな老春を謳歌することできるだろうか。 あと10年、元気で、満開の桜を見上げたいし、黄金の稲田を見回したい。
とにかく、今日のこの一日を無事に終えることだ。 その積み重ねが老春なのだ。
2025.12.1
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