『福井新聞』の一面に「慈しみの心」と題した200字足らずのコーナーがある。 今日12月26日で、2292回を数えるという長期連載だ。
12月20日と21日のものを読んで、ズバリ! 日頃自分が思っていることを代弁してくれたと驚き、且つ、嬉しかった。
「慈しみの心 NO.2286」
唯(た)だ一つの自己に克(か)つ者こそ、じつに最上の勝利者である。(釈迦(しゃか)) <解説> 戦場で百万人に勝つよりもすぐれているという。 ただ、とてもむずかしい。 自己を調え、勝手なことをする自己の方向を変え、正しい流れを維持し続ける。 相当な力がいるが、それだけ価値のある実践だ。 百年のあいだ、毎月千回の祭祀を営むより、自己を修養した人を一瞬でも供養する方がすぐれているともいう。 服部育郎・中村元東方研究所専任研究員 2025.12.20
(神尾) 自己に克つ″のは、なかなか難しいことだ。 困難に対峙したとき、頑張れという自分がいるし、逃げてしまえという自分がいる。 頑張るのは大変だぞ、逃げてしまえ、そうすれば楽じゃないか、と囁(ささや)く自分に負けそうになる。 そんなとき、勝たなくてどうする、困難を乗り越えなくてどうする、勝利者になれと励ます自分に、その通りだと頑張る。 小さな勝利の積み重ねが、大きな勝利を呼び込むことになるのだ。 弱い自分に克つことで、自信を持つことになり、強い自分を育て上げてくれるのだ。 改めて思う。 逃げてはいけない、と。
「慈しみの心 NO.2287」
為(な)さざるなり、能(あた)わざるに非(あら)ざるなり。(『孟子』) <解説> おこなわないのであって、できないのではない。 ものごとを達成できないのは、能力はあるがそれを発揮しないからであるといっている。 たとえば、力をださないと一枚の羽さえもち上げられない。 また、車いっぱいに積んだ薪が見えないというのは、自ら見ようとしていないからであるという。 服部育郎・中村元東方研究所専任研究員 2025.12.21
(神尾) 能う″ことを為さない″のは楽だ。 だけど為さなければ″能わない″のと同じだ。 たとえ些細なことでも、できることならやるべきだ。 やらなければ、できないのと同じだ。 日々生きて行くにあって、面倒なことや煩わしいことに次から次へと出くわす。 それをキチンと片付けていくことが人生なのだ。 そうしなければ、どこかで悪いことが待っている。 人生をつまらなくするのは、自分自身なのだ。
2025.12.26
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