■ 再び「走り書きしたメモ」−2−2025.12.16


小説になるかもしれないと、頭に浮かんだことを忘れないうちにと、そこらにある紙に走り書きする。
それらを読み返すと、われながら赤面するようなことが多いことに気付く。
これを小説するなど、とても恥ずかしくてできないと思う。
その反面、これが書けないで、どうして小説をものにするのだとも思う。

あの太宰治は、ここまで書くか″というほど、裸の自分を小説にしている。
だからこそ、未だ色あせず、若い世代に読み継がれているのだ。

今回は、これはちょっと″と思わないでもないメモを紹介しよう。
ああ〜恥ずかしい。
もとより、オレなど太宰治ではないのだから、恥ずかしがるのもおこがましいといえよう。

D背の高い女性に魅力を感じる
自分が子供の頃チビだったから それとも末っ子だったから 大きなものにあこがれる

(※)小学生までは背が低く、朝礼で体育館や校庭に並ぶと、前から2、3番目だった。
中学生になってから伸び始め、高校を卒業する頃には、チビのコンプレックスを意識することはなくなった。
とはいうものの、背の高い奴に向き合うとこの野郎″と思ったし、背の高い女の子にはすてきだなあ″と思ったものだ。
末っ子ということも、チビに通じるものがある。
姉や兄がいて、物心がつく頃には自分は一番下なんだ″と、コンプレックスのようなものを背負い込むことになった。
身長も中学生の頃までは、姉兄には及ばなかったから、圧倒されっぱなしだ。
そんなだから姉に対しては、姉というより女性という意識があって、それが今でも背の高い女性に魅力を感じる根源になっているのだろうと思う。
魅力だけならいいのだが、とても敵わないなあ″とも感じてしまうから始末に悪い。
女子のバレーボールやバスケットボールをTV観戦していると、いいなあ″と思う自分と敵わんなあ″と思う自分がいることに気付く。

E私は末っ子で 皆に手を差しのべられて 気づかわれて育ったので 人に対してどうしていいか 好きな女性をどう処していいか わからないできた
思いやる 面倒をみる 気づかってやる というようなことができない
どうしていいかわからない
どんな言葉をかけてやればいいのかわからない
要は受動的な人間ということだ

(※)これは、このまま書いた通りである。
Dでも書いたことだから、特に説明する必要はないだろう。
付け加えるとすれば、受動的人間であるため、これまで何人もの素敵な女性を逃してきた、ということだ。

F私は三人兄姉(きょうだい)の末っ子だったから かまってもらって育った
だから人をかまうことが苦手だ
女性と二人になっても どうしていいかわからない
イニシアチブがとれない
相手はがっかりすることだろう
男としては最低 つまらんと思う
オレの最大のウィークポイントである
結果として 女は面倒くさいとなってしまうのだ
そのくせ素敵な女性に出会うと 心がときめいてしまう
それをどうにかすればいいのに それがどうしていいのかわからないから 待ちの姿勢になってしまう
これではその女性はオレに気があったとしても堪ったものではない
情けない男だと思う

(※)これもこのままでいい。
Eと同じことが繰り返し書かれている。
これでもかと云わんばかりに書いている。
余程、自分の情けなさが悔しいと思っていることが分かる。
だからといって、今さら、この歳になってどうすることもできない。
あの世まで引きずって行くだけのことである。
ああ〜嫌だ いやだ!

2025.12.16




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