今日、1月29日は私の誕生日である。 昭和27年1月29日生れだから、満74歳になった。 「馬齢を重ねる」という言葉がある。 自分のことを謙遜して、無駄に歳を取ったことをいう。
自らを振り返ると、決して馬齢を重ねてきたとは思わない。 自分の人生に無駄はなかったと、自信を持って言える。 これまで何度も書いてきたことだが、今あるのは必然的、かつ、意義あることを重ねてきた結果であると信じている。
振り返ってみれば、人生は緩急を繰り返すものであることが分かる。 失敗したり、恥ずかしい思いをしたり、取り返しのつかないことをしたり、余りにも無駄ばかりしてきたようだ。 だが、それらがあるからこそ、それらを踏み台にして次の有意義を生んだのだ。 無駄に思えたことが、今という必然性を招いたのだ。
74年も生きることが出来て、今こうして、物が書けて、本が読めて、元気に歩けて、美味い酒が呑める。 馬齢どころか、有意義な歳を重ねてきたからだと信じている。
ところで、「馬齢」が何故、謙遜する言葉に使われるのか。 三省堂『新明解語源辞典』(小松寿雄・鈴木英夫編)を紐解いてみた。
中国に「馬歯」「犬馬之歯」という言い方があった。 「歯」は年齢の意。 「馬」や「犬」は卑しいという意味で使われることがあるので、「馬歯」「犬馬之年」ともに、自分の年齢を卑下した表現となる。
なるほど、中国で「馬」は卑しいものとされているのだ。 日本では、人に従順で賢く力があり役立つもの、との親しみを込めたイメージがある。 全く逆であることが意外だ。
因みに今年は「うま年」であるが、漢字では「午年」と書き「馬」ではない。 ネットで検索してみた。 「午(うま)」は、古代中国で方角や時刻を示す記号だった。 象形文字の起源「杵(きね)」に由来し、陰陽が交差する位置を意味する。 草木の成長が衰えの兆しを見せ始めた状態を表す「忤(ご)」が語源とされている。 十二支に動物を割り当てる際、覚えやすくするため「馬」が選ばれた。
馬齢を卑下することなく、あと10年「馬齢を重ねて」いきたいと思っている。
2026.1.29
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