今年も今日明日で終わる。 この1年、6日前の24日に仲間が亡くなったことが一番辛かった。 このことは25日のエッセイに詳しく書いた。 これで仲間を亡くすのは3人目だ。
最初に亡くなった仲間は40代の若さだった。 大腸癌の手術を2度も受けたが駄目だった。 1度目の入院のとき「何か読みたい本ないか」と訊ねると、手を振って淋しい顔をしたのが印象的だった。 退院してから、様子を窺いに自宅を訪ねると、アルバムを見せてくれた。 入院していたとき病院食を撮り続け、几帳面に整理されていたのには驚いた。 このときはまだ、生きていくことに希望を持っていた。 ところが、2度目の入院後は一気に衰えてしまった。 奥さんが寄り添い散歩している姿が痛々しく、声をかけるのも憚(はばか)られた。
穏やかな性格の男で敵を作らなかった。 麻雀が好きでよく卓を囲んだが、勝ちに拘るよりもゲームを楽しむ打ち方だった。 わが家で、仲間たちと山盛りのズワイガニを食べたことがあるが、満足そうに静かに食べていた彼の顔を覚えている。
次に亡くなった仲間は67歳だった。 この仲間のことは、これまで何度も書いてきた。 毎年、お盆にはバーベキューに、年末には蕎麦打ちに、と自宅を開放して楽しませてくれた。 亡くなったのは、バーベキューをしたその日、我われが帰った後だった。 勝手口の外で倒れていたのを奥さんが見つけた。 呑み過ぎて、吐しゃ物で息を詰まらせたのだ。 翌朝連絡があり急いで弔問に訪れたが、「何で」と泣けて、「残念」で泣けて、「無念」で泣けた。
私が事務所を持ったとき、書棚を持って来てくれた。 自分で撮った足羽川桜並木夜景のパネルも掲げてくれた。 麻雀が好きだったが、腕の方は今ひとつだった。 とにかく気のいい奴だった。 今思えば、長患いをしていたわけでない。 仲間とバーベキューをして、好きな酒を思う存分呑んだその日に逝ったのだ。 そう自分に言い聞かせて、この仲間を偲んでいる。
24日に仲間が亡くなったのが3人目となる。 6人の仲間のうち半分が逝ってしまった。 残るのは、なぜか、あわら市(旧金津町)の3人になった。 うち1人は、今は金沢在住である。
「あすこが悪い」「ここが痛い」が口癖で、LINEでの話題もそんなことばかりだ。 決して安心はできないが、いつまでもLINEのやりとりを続けていきたいものだ。 あと10年! 歩く会を堪能し、講演会を聴講し、ドライブ・温泉を楽しみ、呑み会で盛り上がろう。 仲間と元気で生きていきたいものだ。
2025.12.30
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