竹馬の友、ただっしゃんが逝ってしまった。
ただっしゃんは、毎年欠かさず年賀状をくれていた。 それが今年は来ないので、どうしたのかな、挨拶なしの賀状廃止かな、などと考えていた。 すると昨日、息子さんから寒中見舞いを兼ねた死亡のハガキが届いたのだ。 「昨年三月に父が七十四才にて永眠・・・・・・」 愕然としてしまった。
また大切な人を亡くしてしまった。 昨年末の仲間に次ぐ訃報に、心の中にまたしても寒風が吹きすさぶ。 もうどうしようもなく、ただ雪空を見上げるばかりだ。
30数件の宮谷という村にあって、私の同級生は女の子が一人いるだけだった。 だから、学年が一つ上のただっしゃんといつも一緒に遊んだ。 ただっしゃんには男の同級生は4人もいたが、なぜだか仲良くしてくれたのだ。 そのことは、これまでのエッセイで、竹馬の友T君として何度も書いてきている。
ラムネン玉(ビー玉)遊びをよくやった。 ところが、何でか分からないが、パッチ(メンコ)遊びはほとんどしなかった。 ラムネン玉遊びでは、負けることが多かった。
スキーとかソリ遊びは、二人とも上手な方ではなかった。 ところが、ゴム動力の模型飛行機作りは二人とも上手かった。 だが、しかし、飛ばせば・・・・・・。 ただっしゃんの飛行機は、凄い勢いで高く飛び上がって上空をゆったりと旋回するのだ。 主翼の調整など天性のものがあったのだろう。 私のは見てくれだけで、低くまっすぐに飛びあっけなく終わった。
ただっしゃんは、泳ぎも得意だった。 私も人並み(以上?)には泳げたが、ただっしゃんのスタミナにはとても及ばなかった。 そもそもが、村の子供はだれもが泳ぎは上手かった。 村では普通なのに、学校では上位で泳げたから自分でも驚いたものだ。
高校生になると、ただっしゃんに誘われて馬術部に入った。 学校は違うが一人の指導者(県の職員で姉の知り合いだった)の下で、4校が合同で練習するのだ。 ただっしゃんは3年のとき国体に出場した。 私は馬の扱いが苦手で、乗馬しても馬が言うことを聞いてくれない。 結局1年もせずに退部してしまった。 乗馬ズボンは、ただっしゃんがもらってくれた。
今でも不思議でしょうがないことがある。 二人で京都へ一泊旅行したのだ。 何の計画もなく、急行列車で京都の駅に降り立ち、駅前の京都タワーや西本願寺あたりをウロウロしたような気がする。 はっきり覚えているのは、学生服を着ているのに煙草を吸って歩いたことだ。 だれにも咎められなかった。 夜は駅前の商人宿のようなところに泊まった。 粗末な食事だった。 宿のだれもが不審がる様子は見せなかった。 ただっしゃんが言い出したことだが、就職も決まっていたので、最後の思い出に誘ってくれたのだろう。
ただっしゃんは、高校を卒業すると滋賀県の会社に勤めることになった。 一度だけ遊びに行ったことがある。 ドライブしたり、ただっしゃんが大好きだというトマトサンドを食べたり、パチンコを楽しんだ。 会社には寮が完備しており、来客用の立派な宿泊施設(ホテル)に泊めてもらった。
その後は、旧盆の墓参りに帰省したときに、ただっしゃんの家に遊びに行った。 それも私が高校を卒業するまでだった。 ただっしゃんは最初の奥さんが亡くなり再婚したし、私も自分の人生を歩むことに必死だった。
やがて二人とも落ち着いたし、福井と滋賀は近いからいつでも会えると思っているうちに、年月は特急列車のように走り抜けてしまった。 そして訃報が届いた。
今思えば、次のやりとりが最後になってしまった。
一昨年(令和6年)の12月に『我が村の歴史=宮谷区=』を、ただっしゃんに送ったこと。
前略 本当に本当に、永い間会ってないけど、元気ですか? 金津と滋賀なんて近いし、いつでも会えると思ってきた。 ところがどうして、何十年もただっしゃんの顔見てない。 だから、頭に浮かんでくるのは、いつも20代の頃の顔です。 自分が昭和27年1月生まれの72歳なので、昭和25年生まれのただっしゃん74歳だと思う。 お互い歳をとったもんやなあ。 ただっしゃんは会社退職して10年程になるのかな? 毎日何しているのかな? 宮谷に帰ってくることはあるのかな? 自分は今年の3月末で仕事を辞めたので、毎日のんびり過ごしている。 本読んだり、書き物したり、歩いたり、酒呑んだりしている。 1日24時間が、駆け足で終わってしまう。 同封の「我が村の歴史」は、家の父ちゃんが1983年(昭和58年)に書いたものです。 当時のことだから、手書きだったけど、このたび自分がワープロ書きにした。 宮谷のことが事細かに書いてあり、宮谷で過ごした頃のことを思い出し、とても懐かしく心が和んでくる。 是非、読んでみてください。 早々 神尾修二 令和6年12月19日
昨年(令和7年)もらった年賀状に、次のように書かれていたこと。
謹賀新年 笑顔に満ちた楽しい一年をすごせますように 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 令和7年 元旦 元気です 福井には帰っているけど中々会えませんね 宮谷の歴史 知らない事ばかりです ありがとう 又 電話下さい 090−○○○○−○○○○ 仕事まだ少ししてます
「電話下さい」と、わざわざ携帯の電話番号が書いてあるのに、何で電話しなかったのかと、悔やまれて、悔やまれて・・・・・・。 ただっしゃん、ごめんな・・・・・・。
合掌
2026.1.8
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