■ 春が来た2026.2.22


梅の花が咲いた。
春が来たのだ。

昨日、青空に誘われてウォーキングした。
すると近所の庭先に、梅が花をつけているのを見つけた。
心が浮足立つのを抑えて、スマホのシャッターを切った。

スマホをポケットにしまうと、雲一つない青空を見上げた。
あの雪の中での選挙が、遠い昔のように思えてしまう。
玄関先の雪かきをしたのが、夢のように思えてしまう。

「梅は咲いたか 桜はまだかいな」
いち早く春を告げてくれる梅の花は、桜の花と並んで、この国では東西の横綱だ。
梅や桜の花がほころぶのを見ると、顔までが笑顔にほころんでしまう。

花を愛(め)でるばかりでなく、おいしく頂いてしまうのだから、この国では楽しむことを徹底している。
梅は梅干しにして一年中食する。
桜は桜餅や桜湯としてめでたく食する。

梅干しといえば、子供の頃を思い出す。
わが家には山の畑に梅の木があった。
母と一緒に実を収穫したのを覚えている。
家族が食べる一年分だから大変な量だし重い。
どうやって運んだのかは記憶にない。

家に持ち帰ると、大きな桶に洗った梅を入れ、塩をたっぷり振ると、家の裏で採ったシソの葉を敷き詰め、落とし蓋をして重石を何個も置いた。
どれくらいの日数で漬け上ったのだろうか。
梅干しは一年中切らしたことがないので、そこらのことは意識したことがない。

あの頃の梅干しは塩が凄かった。
紅くなった梅が、ザラメとなった白い塩にまみれていたものだ。
だから、梅の味よりも塩を味わうことになる。
梅干し一粒でご飯が二杯も食べられた。
あまり旨いもではなかった。

そんなことを思うと、今の梅干しは減塩が当然で、梅そのものがおいしく味わえる。
紀州梅だとか、南高梅だとか、ブランドものは旨いが、高価でちょっと手が出ない。
庶民の梅干しは、贈答品の定番にのぼりつめてしまった。

もう一つ、梅干しの思い出がある。
高校生のとき弁当を持って登校したものだ。
アルマイトの弁当箱の蓋を開けると、必ず白いご飯の真ん中に紅い梅干しが置かれていた。
「日の丸弁当」だ。
今では死語となってしまった感がある。

あのウォーキングで見た梅の花が、やがて実をつけ収穫されると、あの家では梅干しに漬けるのだろうか。
それとも鳥の餌になってしまうのだろうか。

2026.2.22




CGI-design