■ 竹馬の友が逝ってしまった2026.1.8


竹馬の友、ただっしゃんが逝ってしまった。

ただっしゃんは、毎年欠かさず年賀状をくれていた。
それが今年は来ないので、どうしたのかな、挨拶なしの賀状廃止かな、などと考えていた。
すると昨日、息子さんから寒中見舞いを兼ねた死亡のハガキが届いたのだ。
「昨年三月に父が七十四才にて永眠・・・・・・」
愕然としてしまった。

また大切な人を亡くしてしまった。
昨年末の仲間に次ぐ訃報に、心の中にまたしても寒風が吹きすさぶ。
もうどうしようもなく、ただ雪空を見上げるばかりだ。

30数件の宮谷という村にあって、私の同級生は女の子が一人いるだけだった。
だから、学年が一つ上のただっしゃんといつも一緒に遊んだ。
ただっしゃんには男の同級生は4人もいたが、なぜだか仲良くしてくれたのだ。
そのことは、これまでのエッセイで、竹馬の友T君として何度も書いてきている。

ラムネン玉(ビー玉)遊びをよくやった。
ところが、何でか分からないが、パッチ(メンコ)遊びはほとんどしなかった。
ラムネン玉遊びでは、負けることが多かった。

スキーとかソリ遊びは、二人とも上手な方ではなかった。
ところが、ゴム動力の模型飛行機作りは二人とも上手かった。
だが、しかし、飛ばせば・・・・・・。
ただっしゃんの飛行機は、凄い勢いで高く飛び上がって上空をゆったりと旋回するのだ。
主翼の調整など天性のものがあったのだろう。
私のは見てくれだけで、低くまっすぐに飛びあっけなく終わった。

ただっしゃんは、泳ぎも得意だった。
私も人並み(以上?)には泳げたが、ただっしゃんのスタミナにはとても及ばなかった。
そもそもが、村の子供はだれもが泳ぎは上手かった。
村では普通なのに、学校では上位で泳げたから自分でも驚いたものだ。

高校生になると、ただっしゃんに誘われて馬術部に入った。
学校は違うが一人の指導者(県の職員で姉の知り合いだった)の下で、4校が合同で練習するのだ。
ただっしゃんは3年のとき国体に出場した。
私は馬の扱いが苦手で、乗馬しても馬が言うことを聞いてくれない。
結局1年もせずに退部してしまった。
乗馬ズボンは、ただっしゃんがもらってくれた。

今でも不思議でしょうがないことがある。
二人で京都へ一泊旅行したのだ。
何の計画もなく、急行列車で京都の駅に降り立ち、駅前の京都タワーや西本願寺あたりをウロウロしたような気がする。
はっきり覚えているのは、学生服を着ているのに煙草を吸って歩いたことだ。
だれにも咎められなかった。
夜は駅前の商人宿のようなところに泊まった。
粗末な食事だった。
宿のだれもが不審がる様子は見せなかった。
ただっしゃんが言い出したことだが、就職も決まっていたので、最後の思い出に誘ってくれたのだろう。

ただっしゃんは、高校を卒業すると滋賀県の会社に勤めることになった。
一度だけ遊びに行ったことがある。
ドライブしたり、ただっしゃんが大好きだというトマトサンドを食べたり、パチンコを楽しんだ。
会社には寮が完備しており、来客用の立派な宿泊施設(ホテル)に泊めてもらった。

その後は、旧盆の墓参りに帰省したときに、ただっしゃんの家に遊びに行った。
それも私が高校を卒業するまでだった。
ただっしゃんは最初の奥さんが亡くなり再婚したし、私も自分の人生を歩むことに必死だった。

やがて二人とも落ち着いたし、福井と滋賀は近いからいつでも会えると思っているうちに、年月は特急列車のように走り抜けてしまった。
そして訃報が届いた。

今思えば、次のやりとりが最後になってしまった。

一昨年(令和6年)の12月に『我が村の歴史=宮谷区=』を、ただっしゃんに送ったこと。

前略 本当に本当に、永い間会ってないけど、元気ですか?
金津と滋賀なんて近いし、いつでも会えると思ってきた。
ところがどうして、何十年もただっしゃんの顔見てない。
だから、頭に浮かんでくるのは、いつも20代の頃の顔です。
自分が昭和27年1月生まれの72歳なので、昭和25年生まれのただっしゃん74歳だと思う。
お互い歳をとったもんやなあ。
 ただっしゃんは会社退職して10年程になるのかな?
毎日何しているのかな?
宮谷に帰ってくることはあるのかな?
自分は今年の3月末で仕事を辞めたので、毎日のんびり過ごしている。
本読んだり、書き物したり、歩いたり、酒呑んだりしている。
1日24時間が、駆け足で終わってしまう。
 同封の「我が村の歴史」は、家の父ちゃんが1983年(昭和58年)に書いたものです。
当時のことだから、手書きだったけど、このたび自分がワープロ書きにした。
宮谷のことが事細かに書いてあり、宮谷で過ごした頃のことを思い出し、とても懐かしく心が和んでくる。
是非、読んでみてください。
早々
神尾修二
令和6年12月19日

昨年(令和7年)もらった年賀状に、次のように書かれていたこと。

謹賀新年
笑顔に満ちた楽しい一年をすごせますように
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
令和7年 元旦
元気です
福井には帰っているけど中々会えませんね
宮谷の歴史 知らない事ばかりです
ありがとう
又 電話下さい
090−○○○○−○○○○
仕事まだ少ししてます

「電話下さい」と、わざわざ携帯の電話番号が書いてあるのに、何で電話しなかったのかと、悔やまれて、悔やまれて・・・・・・。
ただっしゃん、ごめんな・・・・・・。

合掌

2026.1.8




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