友を3人も亡くしてしまった。
知らせがあると、すぐに枕元に駆けつけた。 白い布をめくると、血の気を失くした顔が目を閉じ、口を閉じて、まるで蝋人形になってしまっている。 あの笑顔も、あの目も、あの息遣いも、逝ってしまったのだ。 友とのことが走馬灯のように頭を巡る。 泣けて、泣けて、泣ける。 何でオレより先に逝ってしまうのだ。 涙が出て、涙が出て、涙が出る。 名前を呼ぼうにも声にならない。
友を亡くすとなぜ悲しいのか。 これまでの楽しかったこと、嬉しかったこと、良かったことばかりが思いだされる。 もうこれから一緒に笑ったり、呑んだりすることができない。 その過去と未来の喪失感が悲しませるのだ。 その無念と後悔とが一挙に襲ってくるのだ。
どんなに泣いたって、どれだけ涙を流したって、過去は取り戻せないし未来は望むべくもない。 その喪失感が自分を責めるのだ。 どんなに、気になっていたことを何とかしようとしても、どうすることもできない。 どんなに、これからああしようと思っていたとしても、どうすることもできない。 だから泣くことしかできない。 だから悔やむことしかできない。
人間は身勝手なものである。 そんなにやり残したことがあったなら、友があるうちにやればよかったのだ。 そんなにやりたいことがあったなら、友があるうちにやっておけばよかったのだ。
残された友は2人になってしまった。
一緒にやりたいことがあったら、今のうちにやろう。 また今度、また明日、などと先延ばししていると、泣くだけで、悔やむことしかできなくなってしまう。 「よくやったなあ。楽しかったなあ。あの世でも一緒にやろうな」 そう言って、泣かずに送り合おう。 そう言って、悔いを残さず送り合おう。
そう、オレたちに明日はないのだ。
(参考) ネットで調べたら、亡くなった人の顔にかける白い布は、「打ち覆い(うちおおい)」とか、「面布(めんぷ)」というらしい。
2026.1.27
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