梅の花が咲いた。 春が来たのだ。
昨日、青空に誘われてウォーキングした。 すると近所の庭先に、梅が花をつけているのを見つけた。 心が浮足立つのを抑えて、スマホのシャッターを切った。
スマホをポケットにしまうと、雲一つない青空を見上げた。 あの雪の中での選挙が、遠い昔のように思えてしまう。 玄関先の雪かきをしたのが、夢のように思えてしまう。
「梅は咲いたか 桜はまだかいな」 いち早く春を告げてくれる梅の花は、桜の花と並んで、この国では東西の横綱だ。 梅や桜の花がほころぶのを見ると、顔までが笑顔にほころんでしまう。
花を愛(め)でるばかりでなく、おいしく頂いてしまうのだから、この国では楽しむことを徹底している。 梅は梅干しにして一年中食する。 桜は桜餅や桜湯としてめでたく食する。
梅干しといえば、子供の頃を思い出す。 わが家には山の畑に梅の木があった。 母と一緒に実を収穫したのを覚えている。 家族が食べる一年分だから大変な量だし重い。 どうやって運んだのかは記憶にない。
家に持ち帰ると、大きな桶に洗った梅を入れ、塩をたっぷり振ると、家の裏で採ったシソの葉を敷き詰め、落とし蓋をして重石を何個も置いた。 どれくらいの日数で漬け上ったのだろうか。 梅干しは一年中切らしたことがないので、そこらのことは意識したことがない。
あの頃の梅干しは塩が凄かった。 紅くなった梅が、ザラメとなった白い塩にまみれていたものだ。 だから、梅の味よりも塩を味わうことになる。 梅干し一粒でご飯が二杯も食べられた。 あまり旨いもではなかった。
そんなことを思うと、今の梅干しは減塩が当然で、梅そのものがおいしく味わえる。 紀州梅だとか、南高梅だとか、ブランドものは旨いが、高価でちょっと手が出ない。 庶民の梅干しは、贈答品の定番にのぼりつめてしまった。
もう一つ、梅干しの思い出がある。 高校生のとき弁当を持って登校したものだ。 アルマイトの弁当箱の蓋を開けると、必ず白いご飯の真ん中に紅い梅干しが置かれていた。 「日の丸弁当」だ。 今では死語となってしまった感がある。
あのウォーキングで見た梅の花が、やがて実をつけ収穫されると、あの家では梅干しに漬けるのだろうか。 それとも鳥の餌になってしまうのだろうか。
2026.2.22
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