台所に立つのが好きだ。
これまで何度も書いてきたことだが、小学生の頃から台所で、チョットしたものを我流で作っていた。 一人暮らしの時代も、小さな鍋とフライパンで、カレーや卵焼きを作った。 白いご飯さえあれば、金がなくても何とかなったものだ。
結婚してからは、チョットしたものばかりか、ソコソコのものを作るようになった。 フクラギ(ブリになる前のもの)を一本買いし、三枚に下ろして刺身にし、アラは煮つけにした。 刺身がたくさん出来たときは、握り寿司にした。 イクラや生ウニで軍艦巻きも作った。 子供たちには、卵焼きの握り、トマトの軍艦巻きが好評だった。 新鮮なサンマが手に入れば、塩焼きにするのは勿体なくて、刺身にした。 生姜醤油で食べるととても旨い。
肉料理にも腕を振るった。 牛モモ肉ブロックでいいものがあれば、迷うことなくタタキにした。 ほどよい太さに切り揃え、軽く塩を振ってから金串に刺し、ガス火の遠火で表面を満遍なく炙る。 金串を抜いて氷水で冷やし、水気を取ってから薄く切って、大皿にきれいに盛れば出来上がりだ。 醤油をベースとした、自己秘伝(?)のタレで食べる。
煮物もよく作ってきた。 里芋の煮っころがしは大好物だ。 以前は泥を落として皮を剝(む)くのが大変だったが、今は皮のない白い里芋が売られているので随分楽になった。 大きなものは適当な大きさに切り、小さなものはそのまま大鍋に入れ、酒と砂糖と醤油で噴きあがるほど煮る。 この際水は一滴も使わないことだ。 煮ていくうちに、思いの外、材料から水分が出てくるからだ。 一度噴きあがったら、あとは弱火でコトコトと時間をかけて煮ればいい。 熱いのをフゥーフゥーして食べるのも旨いが、冷えても身がしまって歯応えがあり旨い。
鍋物は寒い季節の定番だ。 湯豆腐、しゃぶしゃぶ、鱈ちりなど、安くて手軽で旨い。 大阪の「旭ポンズ」に、大根おろしとネギを薬味にして食べるのが最高に旨い。 仲間との「山形風芋煮会」も、賑やかで楽しくて旨い。
「冷蔵庫お掃除鍋」というのをご存じだろうか。 だれも知らないと思う。 それもその筈、私がかってに名付けた鍋だからだ。 冷蔵庫の中を見回し、野菜なら何でも、ちくわ・カマボコ・油揚げ・ツナ缶など、残り物・半端物を何でも鍋に入れて、豪快に食べるというものだ。 味噌または醤油で薄味にして、一味唐辛子を振ってハフハフしながら食べると旨い。
鍋物の〆(しめ)には、うどんが何にでも合う。 冷や飯が残っていたら、卵を溶いて雑炊にするのも悪くはない。
さて、自己流の料理法を書いてきたが、料理は2つのソウゾウリョクだと思う。 料理は想像力と創造力だ。
想像力は、野菜や肉魚とかの材料同士や調味料の組み合わせ調合など、相性と適性を想像する力である。 それを間違うと、どんなに新鮮な野菜も、どんなにいい肉魚でも、不味くて台無しになってしまう。
想像力だけでは、文字通り絵に描いた餅だ。 創造力は、想像したものを、具体的に創造する力である。 材料を切り、生で、煮て、焼き、揚げ、調味する力である。 この2つのソウゾウリョク、想像力と創造力が相まって、旨いものが出来るのだ。
想像力と創造力を育むためのヒントは、チョット気をつければそこら中にある。 外食した時やお呼ばれでご馳走になったときがそうである。 これは旨いが、材料の産地はどこかな、焼き方かな、どんな調味をしたのだろうか。 ソウゾウリョク2つの視点から捉えるのだ。 TVの料理番組やグルメ番組は、これでもかと、旨いものの作り方や旨いものを教えてくれる。 料理本や新聞の料理コラム、旨いものの紹介記事もそうだ。
私は、子どもの頃から食いしん坊だったせいか、何を見ても、何を聞いても、何を読んでも、何を食べても、2つのソウゾウリョクで考えることが習慣になってしまった。 そうこうしていれば、想像力も創造力も、自ずと力が付いてくるものだと実感している。
これからも、大したものは作れないが、少しでも旨いものを作っていくつもりだ。
2026.1.20
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