■ 仲間を亡くす 仲間と生きる2025.12.30


今年も今日明日で終わる。
この1年、6日前の24日に仲間が亡くなったことが一番辛かった。
このことは25日のエッセイに詳しく書いた。
これで仲間を亡くすのは3人目だ。

最初に亡くなった仲間は40代の若さだった。
大腸癌の手術を2度も受けたが駄目だった。
1度目の入院のとき「何か読みたい本ないか」と訊ねると、手を振って淋しい顔をしたのが印象的だった。
退院してから、様子を窺いに自宅を訪ねると、アルバムを見せてくれた。
入院していたとき病院食を撮り続け、几帳面に整理されていたのには驚いた。
このときはまだ、生きていくことに希望を持っていた。
ところが、2度目の入院後は一気に衰えてしまった。
奥さんが寄り添い散歩している姿が痛々しく、声をかけるのも憚(はばか)られた。

穏やかな性格の男で敵を作らなかった。
麻雀が好きでよく卓を囲んだが、勝ちに拘るよりもゲームを楽しむ打ち方だった。
わが家で、仲間たちと山盛りのズワイガニを食べたことがあるが、満足そうに静かに食べていた彼の顔を覚えている。

次に亡くなった仲間は67歳だった。
この仲間のことは、これまで何度も書いてきた。
毎年、お盆にはバーベキューに、年末には蕎麦打ちに、と自宅を開放して楽しませてくれた。
亡くなったのは、バーベキューをしたその日、我われが帰った後だった。
勝手口の外で倒れていたのを奥さんが見つけた。
呑み過ぎて、吐しゃ物で息を詰まらせたのだ。
翌朝連絡があり急いで弔問に訪れたが、「何で」と泣けて、「残念」で泣けて、「無念」で泣けた。

私が事務所を持ったとき、書棚を持って来てくれた。
自分で撮った足羽川桜並木夜景のパネルも掲げてくれた。
麻雀が好きだったが、腕の方は今ひとつだった。
とにかく気のいい奴だった。
今思えば、長患いをしていたわけでない。
仲間とバーベキューをして、好きな酒を思う存分呑んだその日に逝ったのだ。
そう自分に言い聞かせて、この仲間を偲んでいる。

24日に仲間が亡くなったのが3人目となる。
6人の仲間のうち半分が逝ってしまった。
残るのは、なぜか、あわら市(旧金津町)の3人になった。
うち1人は、今は金沢在住である。

「あすこが悪い」「ここが痛い」が口癖で、LINEでの話題もそんなことばかりだ。
決して安心はできないが、いつまでもLINEのやりとりを続けていきたいものだ。
あと10年!
歩く会を堪能し、講演会を聴講し、ドライブ・温泉を楽しみ、呑み会で盛り上がろう。
仲間と元気で生きていきたいものだ。

2025.12.30




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