■ 老 春2025.12.1


今日の『福井新聞』「くらしの川柳」欄は、11月分秀句が掲載されている。
その中に次の作品がある。

長生きだ 老春謳歌 これもよし″

耳慣れない老春″という言葉が新鮮で魅かれた。
SNSで検索してみた。
するとAIが回答してくれた。

「老春」は、主に老齢になって迎える人生に春や、晩春(春の終わり)を意味します。
また、俳句の季語としては「新年」や「老い」を指すこともあります。
さらに、近年の造語として、定年後の人生を第二の青春時代として捉え、積極的に楽しむ時期を指す場合もあります。

なるほど、この言葉は俳句の季語になっているのだ。
俳句をやらない自分が新鮮に思った筈である。

それはそれとして、「定年後の人生を第二の青春時代として捉え、積極的に楽しむ時期」、これに、我が意を得たり、と思った。
仕事をリタイアした自分は、今まさに、「第二の青春時代」を楽しんでいるのだ。

本来の青春時代は、10代から20代の頃と定義されるであろう
中学生、高校生、大学生、新社会人、結婚するまで、ということになる。
私には青春を謳歌したような実感は殆どない。
学校が楽しいとは思わなかったし、会社勤めにやりがいを見出すことはなかった。
恋愛らしきことは二三度あったけど、燃えるようなものではなかった。

ただ、未だにちゃん付け″で呼ぶ仲間と出会ったし、自分の事務所を開業できたことはラッキーだった。

嫌なこと、悔しいこと、悲しいこと、残念なこと、苦しいこと、辛いこと・・・
青春時代を振り返れば、ネガティブなことばかりが頭をよぎってしまう。
太宰治じゃないが、恥ずかしい人生″を送っていたのだ。
だがしかし、それらのことが石垣となって、いまの老春を支えてくれている。

この老春の日々が、ありがたく、嬉しく、楽しく、愛おしい。
いつまでそんな老春を謳歌することできるだろうか。
あと10年、元気で、満開の桜を見上げたいし、黄金の稲田を見回したい。

とにかく、今日のこの一日を無事に終えることだ。
その積み重ねが老春なのだ。

2025.12.1




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