Mさん、お早うございます。 「成人の日」の今日、何をされていますか。
早いもので、大学院ビジネスコースを修了して、6年が経ちました。 あの当時、お互い社会人院生として、Mさんが57歳で、私が48歳でしたね。
学会サロンのスピーチ原稿、拝読しました。 相変わらず研究意欲が旺盛で、その勢いが止まりませんね。 今回の原稿は、大変読み易いので、正直驚きました。 素直で、力みがない文章は、元来読み易いものです。
以前に、Mさんの来し方を書いた、本のコピーをいただきました。 あの時も、随分読みやすかったのを、覚えています。 自己をさらけ出す文章は、分かりやすく感動的ですらありました。
私は、Mさんの日頃のメールにしても、分かりやすく読み易いといいのにと思っています。 なぜなら、いつもMさんのメールや論文、レポート、評論などは、一度では理解出来ないので、余程考えて読むようにしているからです。 私に、読み手としての力が、不足しているのでしょうか。
相当以前に、小学校の教員が書いた文章を読んで、大変なショックを受けました。 真綿が水を吸うように、読み手の私の頭にその内容が浸み込んでくるのです。 小難しい言い回しがなく、必要以上の漢字も使われていません。 でも、格調が高く、大変な名文でした。
それ以来、私は素直で分かり易い文章を書くことに、拘ってきました。 仕事のレポートや、日頃のメールなど、特に心がけています。
自分の想いを文章にすると、その想いが表現されるのは半減します。 そして相手が読んだとき、さらにその想いが伝わるのは半減します。 書き手の文章表現力の不足と、読み手の理解力の不足や受け取り方の違いに、問題はあるでしょう。 でも、そのことは解決が困難な、永遠のテーマです。
自分の想いが、正確に相手に伝わらない。 ですから人間は、誤解の上に生きているのかもしれません。 悲しいものだと思います。
随分と生意気なことを、書いてしまいました。 どうか、失礼をお赦し下さい。
2012.1.9
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