私の昼の弁当は、白いご飯に梅干と塩昆布である。 それにバナナ一本と豆乳が添えてある。 この弁当がいくらぐらいなのか、ざっと計算してみた。 ご飯二十五円、梅干十五円、塩昆布十五円、バナナ二十円、豆乳七十円、締めて百四十五円也となる。 粗末な食事だと周りの人はいう。 ところが、六十歳の私にはこれが旨いのである。 卵焼きも、鶏の唐揚げも、豚の生姜焼きも、欲しいとは思わない。 ご飯の旨さは、一粒の梅干が教えてくれる。
私の母は、戦後間もない昭和二十一年、親のいうまま稲作農家の父に嫁いだ。 舅姑に加え小姑らが六人、総勢十人の大家族だが、村中で評判の姑には泣かされた。 ある日小姑の一人が、残してきた弁当の梅干を母に与えた。 夕食の飯茶碗に遠慮がちに盛られたご飯の陰に添えられた梅干は、食べ終わった弁当箱の中で転がり、情けないほどくたびれ果てたものだった。 それを姑が目ざとく見つけ、 「うわあ、こんな大きな梅干もったいない」 といって、取り上げてしまったという。 時代背景を考慮しても辛い仕打ちである。
私は弁当を食べるたび、ご飯の真ん中で居心地よさそうに収まっている梅干に話しかける。 (きょうもよろしく) 梅干を口に含めば、五十五歳の若さで亡くなった母に会わせてもらうことができるのだ。 私は母と一緒にその梅干を味わい、種の舌触りを充分に楽しむ。 (もういいかい。これくらいにしとこうか) 味あせた種を、弁当箱のふたにプットリ落とす。 そして周りに聞こえるようにいう。 「ああ、旨かった」
あの東日本大震災の被災地では、泥にまみれた米を一粒ひと粒ひろい集め丁寧に洗い、そのご飯を皆で分けあって食べたという。 私は母から、一粒の米には八十八の神様が宿っていると聞かされて育った。 その神が私の生命を支えてくれている。 そして、憂うことなく三度のご飯がいただけている。 (何の不足があろうか)
母が亡くなり三十年余り、私のふるさとは変わった。 村の中を立派な道路が貫き、耕地整理された田んぼには、大型農業機械が動き回っている。 杉の苗木を父母と姉兄とで植えた山は、荒れ放題である。 それにつけても、田んぼの畦や山の木陰で、家族一緒に食べた白い握り飯の旨かったこと。 今こうして弁当箱のふたを開ければ、あの頃のふるさとに帰ることができるのだ。 (ふるさとはあの日にありて思ふもの)
2013.8.1
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