池田は、会社の健康診断で右肺に影が発見され、総合病院で精密検査を受けた。 担当の医師は、池田に直接癌だと告げた。 しかも、今のうちに旅行でもなんでも、やりたいことをやれと勧めるのだった。 そう言われれば誰だって、それが近いうちの死の宣告だと解かる。
数か月すると肺の影は大きくなり、手術ということになった。 医師は全部摘出すれば延命はするが、それがいつまでかは保障できないと告げた。 池田と妻の明子は、余りにも事務的な口振りのその医師を疑がった。 医は仁術というではないか。 せめて嘘でもいいから、希望を持てるような言い方をして欲しいと思った。 以後池田は、急激に心が萎えてしまった。 身体もやせ細り、自分の力では歩けなくなってしまった。 悲しさが食欲を奪い、苦しさが食べ物を喉に通さなくなったのだ。
妻の明子は独断で、友人の看護婦に名医と薦められた医師に替わることを決めた。 転院手続きやらで多少トラブったものの、何とかその医師が勤務する病院に入院することができた。 医師は明子に、丁寧に治療の方針を説明してくれた。 「現代の医学では、確かにあの先生が仰るように、ご主人の余命はあと僅かです。 ですから、抗癌剤の効果はほとんど期待できないでしょう」 「だったら先生、どうすればいいのでしょうか。 私たちに出来ることは、死を待つだけでしょうか」 明子は懸命に訴えた。 「奥さん、人間には科学では解き明かせない生命力が潜んでいます。 そこに賭けてみませんか」
ひと月が経った。 池田は、医師からレントゲン検査の結果、影が少し小さくなっていると告げられた。 明子からも、医師から良い方向に向かっていると聞かされたと、笑顔で言われた。 それは池田を励ますために、医師と明子とで示し合わせたことだった。 医師はさらに言った。 「これまでに、われわれ医師でも信じられないほど長生きした例があります。 ひょっとして、池田さんはそうなのかも知れませんね」
池田は、よく食べ、リハビリに励んだ。 今の池田は、本当に肺に影があるのかと思うほど、明るくなった。
2019.4.9
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