定年間近の池田は心に疲れを覚えると、この河川敷にやってくるのが常だった。 ここには春から夏にかけてクローバーの花が盛んになる。 池田はその花を摘み首飾りを夢中で編んだ。 編めば優子に会うことができた。
優子は二歳下の幼なじみだった。 ふたりとも一人っ子だったが、家が近く親同士の仲が良かったこともあり、兄妹(きょうだい)のように育った。 河川敷では首飾りの長さを競い、お互いの首に掛け合った。 高校まではいつも一緒だった。 池田が都会の大学生になってからも、帰省すれば優子が優しい笑顔で迎えてくれた。
優子は地元の短大に進学し念願の保母になると、二人が通った保育園に勤めるようになった。 幸せのシャワーを全身に浴び、人生の喜楽の湯船に身を泳がせた。 そんな優子に癌の魔手が忍び寄ったのは二十二歳のときだった。 右の肺に見つかったその魔手は、あっという間に全身を巡った。
池田は残り少ない優子の人生に寄り添っていてやりたいと、都会の銀行を辞め地元の会社に転職した。 毎日、出勤前と退社後には病院に顔を出し、休日になれば終日優子の側にいた。 優子は、池田がクローバーの首飾りを編んで持っていくと、嬉しそうに掛けた。
「お兄ちゃん、わたしお兄ちゃんのお嫁さんになると決めていたんだ。そして、たくさん赤ちゃんを産みたかったの」 優子はそう言うと精一杯の笑顔を見せた。 優子が逝ったのは、誕生祝いのケーキに二十四本のローソクを立て、いっしょに火をつけた十日後のことだった。
それから三十年余り、二人の両親は既に亡く、池田はきょうまで独り身を通してきた。 若い時は、周囲の者はさかんに縁談話を持ってきたが、それを頑なに拒む池田の純情を嗤い、やがて去っていった。
池田はそれでいいと思っていた。 だれがどう言おうが自分の人生だと。 そして今、優子のことを書き遺すため、原稿用紙に向っている。
2018.9.30
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